べにぢょの日記

美人とギークが好き

突然だけど私の話をする。

父が急逝してひと月が経った。
MTG中に妹から容態が急変したというメッセが来て、折り返した時にはすでに亡くなっていた。
その2日前、入院する際に付き添ったばかりだった。
またねーと手を振ってから48時間も経たないうちに、いきなり死ぬとかいみがわからない。

上長に事情を説明して会社を出た。
しかし、病院へ行けばよいのか実家へ向かえばよいのかわからない。
その2つはルートが全く違う。妹からは、待機しててほしいと言われている。

待機していたら、「やっぱり心臓が動きました」 という連絡が来る気がした。
そんなことはきっとあり得ないんだろう。そんなことがあり得る方があり得ない。
でも、非現実なことをしたら、非現実的なことが起こるかもしれないと思った。
この状況において、すごく不謹慎であり得ないことをしたら、あり得ないことが起こるかもしれないと期待した。
会社から自宅まで20キロくらい。ポケモンを捕まえながら歩いて帰った。ポケモンだけを見ていた。現実を見たくなかった。

父は、13歳で父親を亡くした。その直後に、母親が緑内障で失明した。
当時、小学校に入ったばかりの妹がいた。
中学に入ったばかりの父は、盲目の母親と7歳の妹を、一人で守り養って生きていかなければならなかった。
昭和40年のころ。どんな時代でどんな思いをしたのか。
勉強もスポーツもできたと親戚から聞いた。負けず嫌いな性格だから、そうだったんだろうと思う。
郷ひろみに似ていたと自分で話していた。それはどうかなと思うが、まんざらでもないかもしれない。
野球が好きな人だった。夢があっただろう。
いい高校に行って、野球部で青春を送って、郷ひろみバリのルックスで女の子を口説いて、大学で遊んで、いい会社に入って。
母親と妹を守って生きるため、中学時代からただただ生きるために働き、卒業後はそのまま就職して定年まで勤め上げた。
とても厳しい父だった。
何度も理不尽にぶん殴られたし訳もわからず窓から放り投げられた。
でも、それ以上に、自分に厳しい人だった。

父は、幸せだっただろうか。
私は、よい娘だっただろうか。
それを思うと、とてもやるせない気持ちになる。
私は、父によく似ている。あらためてそう思う。だからよく分かる。
お父さん、お父さんがつらかったときにどんな気持ちだったか、頑張らなきゃならないときに何を思っていたか、私は同じ気持ちで感じる。
長女だから。兄弟の中ではいちばん父を長く見ているし、私のはんぶんは父でできている。

いま母と妹が暮らしている実家は、48年前に父が建てた。
といっても、1人で建てたわけではない。
大工である親戚に頼んだのだが、母や妹が暮らす家を他人任せにできず、自ら屋根に上ってカンカンやったらしい。
当時16歳。その後も、腕を買われてちょくちょく大工の仕事を手伝っていた。

離れて暮らしていたせいか、いまだに実感がない。
亡くなった日から告別式までの3晩、冷たくなった父の棺の隣で寝た。
どうしてこんなに冷たいのか。いみがわからない。
最期に着せたゴルフウェアの胸ポケットに、父への手紙を入れた。
翌日、火葬前の最後のお別れで、親戚一同が父の体を触りまくっていた。
おい!!!!!!!!!!!!
胸ポケットさわんなよ!!!!!!!!!!!!
恥ずかしい手紙はいってんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!
と焦ったのも今なら笑えるが、そのときは本当に血の気が引いた。
お父さんがあの世で読んでくれる…なんて思ったわけではない。
あれは、私が私のケジメのために書いた手紙。だから、自己満足なんだ。

父は、幸せだっただろうか。
私は、父を幸せにできたんだろうか。
ずっと1人で背負っていた義務を、踏ん張っていた強がりを、少しでも楽にしてあげられただろうか。
私は、私は。
まだ、よくわからない。
来週、四十九日を迎える。納骨の時に、また何か感じるんだろうか。
でももう、ポケモンは捕まえない。
父は亡くなった。もう完全に、亡くなっている。